荻須記念美術館
好きな教授がおすすめしてくれた建物を見てきました。とにかく惚れ尽くしたので書き留めます。
目次
建物データ
設計:徳岡昌克、竹中工務店
施工:住友建設名古屋支店
掲載記事:
日経アーキテクチュア1983.10
新建築1983.10
建築文化1983.10
コンセプト
稲沢市出身の画家、荻須高徳の遺品を市が受け取り、それを元に氏の業績を讃え、また市民の芸術、文化振興に寄与することを目的として建てられたもの。
外観・外部空間
正面入り口。バスを降りてすぐにみることのできる光景です。
広場から建物を臨む。
広場に植えてあるのはほとんどが桜の木。筆者が訪れたのは4月の半ばを過ぎた頃だったので、ほとんど散ってしまっていた。
しかし今年は春になっても寒さ厳しい日が多く、桜が散るのは例年に比べれば遅い方だったと思う。
散りかけの桜と、蜂。
一本だけ独立した木と、建物を眺める。
広場で休む人たち。
なんて人が似合う建物なんだろうか。
ベンチに座っていても、芝生の上で寝転がっていても、圧迫感を感じさせないヒューマンスケールな外部空間。
外観・外部空間②
窓。
ディテールにも着目。
窓の部分を縁取るように石材が使われており、下部は奥に深くとってある。隅角の部分が丸く加工されていたり、少し段差が付いていたりするのを見ると、建築部材としてではなく、座っていいもの、と自然に認識することができる。
外壁と内壁には同じタイルが使われており、調べてみると「炻器質タイル」のよう。表面がサラサラしたか感触で、壁に手を当てながら歩いても「いてっ」となることがない。
建物とタイルの相性がすごくいいなぁ。
タイルメーカーは志野陶石という会社のようだけど、調べてみると既に倒産しているよう。
内部空間
内部は撮影が禁止されてたので、スケッチにて解説。
床から巾木分くらい立ち上がった場所に空調設備が埋められて、その上に気持ち程度の目隠しのように木がとりつけられている。
吹出気流が直接壁面に当たらないのと、木によって下に陰影が生み出されているのと、二重の効果を生んでいるのかも。
スタッフルームへと通じる扉の額も、額縁が3重くらいに取り付けられていて、
なんとなく、建物全体がまるで額縁のよう、とも感じた。
内部空間②
こちらも同様、写真もスケッチもないので文だけになります。
この建物、シークエンス的なものがすごく美しいと思う。
次の展示室へと足を向けると、次の部屋で何か起こるんじゃないか、みたいな高揚感が空間から感じられる。
サブオリエンテーションホールから交流ロビーをうかがう時、窓からの光と、その光にあたってできた椅子の影が、本当に美しかった。床のカーペットが、光、音、空気…言葉では伝えきれない、“いらないもの”を吸収してくれたからこそ、ここでの光景が美しく感じられたのだと思う。
こうして建物のすべての部屋を時間をかけて歩き回り、帰りまでの時間いっぱい、広場で悠々自適に過ごした。
荻須高徳画伯の作品もじっくり見たけど、すごく素敵だった。
ほとんどの絵がリトグラフで描かれている。
荻須画伯の描くリトグラフの絵はとても特徴的で、面ではなく、凹凸。
絵、というよりかは、まるで空間そのもののよう。
たてものエピソード①
最近。建物の用途とか、意味について考えるようになりました。結局、人に何を与えるんだろう?っていう。
本文の一部でも書いたけど、やっぱり建築やってる分にはディテール的な部分が気になることもある。
良い建築の、良い理由を探すために。
けど、実際その部分が気になるのは、作るという立場としての建築関係者とか、観る、って立場のよっぽどごく一部のマニアック層とかに限られると思う。
今回、荻須記念美術館の広場に集って思い思いに過ごしている人たちを見て思ったのは、べつにそんなディテールの部分なんて、ちっとも気にしてないこと。けど、確実に、何かその場にいる良さを感じて、その場にとどまってくれている、ということ。
わざわざ主張しなくても、建物の価値に人が気づいてくれて、使ってくれるようになる。
最近話題になった都城市民会館の解体の件について言及すると、結局あの建物にはそんな部分が欠けてたんじゃないか、って。
・素晴らしい建築は、残すべきである。
・残すべき、と判断される建物には、理由がある。
荻須記念館のあの広場の光景の中に、答えに近いものがあったと思う。
たてものエピソード②
最近ずっとスランプで、スケッチとかしばらくしてませんでした。
荻須記念館に訪れた時、描きたくてたまらない、という衝動に襲われて。
必死にホルダーを走らせて、見て、落とし込む、という作業をやったのだけど、なかなかうまく描けず。
とりあえず描いたスケッチを見てみると、あらまあひどい有様。「なんだこれ、実際他人が見て光景伝わるんだろうか、」という不安。
思えば、大学の授業とか資格試験通して絵とかパースの描き方とか色々習ってきたのに、それを生かそうともせず全部自己流でやろうとしてたかもしれない。
最近ようやく分かり始めた気がします。
自分が無茶ばっかりする人間で、全然素直じゃないってこと。