好きなものだけ

インテリアを学ぶ大学生が建築にハマってしまった。見たときの写真や感じたことを記すブログ。

「刺激だけ」からの変化を求めて

今、自分がやっている“勉強”に物足りなさを感じた。

 

 

最近、ツイッターにて自身のあるツイートをきっかけに急激にフォロワー数が伸びた。

https://twitter.com/jw_7562/status/1018452971321942016?s=21

 

自分が気に入った光景で、自分が撮った写真が他の大勢の人に見てもらえた、良さが伝わった貴重な体験だった。

 

このアカウントで、いやツイッター自体で(プチ)バズりしたのは初めてだったし、いいねとRTっていう具体的な数で表されると色々と心が満たされるものがあった。

 

ツイートから1週間も経てば、いいねされることもなくいつもの静かな通知欄に戻ったのだけど、

明らかに変わったのは、TLに流れてくる情報と自身のツイートのいいねの数、そして

「おすすめユーザー」に出てくる人。

 

前までここに出てくる人たちは、

「大人で建築界のことを知り尽くしてる人」(私個人の勝手なイメージです)が多かったのだけど、なぜかプチバズり事件をきっかけに、

「同じくして建築を勉強している最中の大学生」のアカウントがたくさん表示されるように。

 

フォローまではしないけどいろんな人のツイートを見てみた結果、

・ストイックに勉強している人が多い

エスキスたくさんやってる

・作品に対して自分が思ったことを素直に言葉に表せている

・それらを熱く語れる場がある

単純すぎるけど…) と全体的に思った。

 

行動パターンも、 自分で知識を掴みに行って、やることもちゃんとこなして、足りないと思う部分に対しては自分より秀でている人に聞きに行く。更に、疑問に思うことに対して討論し合う。 という流れが全体的にあったと感じた。

やっぱり、大学生のやることってここまでやるのが当たり前だなぁと思ってしまった。

 

つまるところ、自分の今の現状がダサく思えてきた。知識を得ようとする行動力だけはあるが、その勉強で培った知識で今後どうするかという点に対しては全く考えていなかった。

 

 

もちろん、気になる建物を見に行って、調べるなりして好きなだけ知識を増やしていくのもいいことだと思うのだけど、知識を持っているだけでは正直なんの役にも立たない。

 

 

ある日、困った末に友人に相談してみると、かつて友人も同じような悩みを持っていたことを知った。

悩みを話してからは、今後の方針とか希望とかを長々話し合って、曖昧で結論が出ていないままでその日は終わった。しかし、次の日からは、いつもならスルーしてしまいそうな光景でも、

「あの友人ならこの状態をどう考えるだろう」と考えるようになって 物の見方とかそもそもの考え方が自分の中で変わっていた。

 

「「知識を持っているだけ」という不足感からの脱却法」を見つけ出した気がした。

 

人と共有すれば、「あ、私も似たようなの知ってる」とかでどんどん話題が広がって、

いずれは「自分の考え」という単体の情報ではなくなっている。

 

柔軟性を持つ、というのは自分自身の頭を柔らかくすることではなく、

他の人の持つ考えと自分の根本にある考えをうまく組み合わせて、それを形にできることではないかと思う。

 

 

人とか環境に頼ることで、自分の考えをコントロールできるようになれば、きっとすごく簡単に、想像もつかないくらい大きなものが出来上がるんじゃないかって思う。

とにかく今の平凡な状態から抜け出して次のステージへいきたい。

 

 

たてものエピソード

前回と同様、私情とか私生活とかと絡めた話です。編集ほとんどせずにフィーリングでダラダラ書いてる感じが強いので気が向いたら読んでくださいっていう程度です。

 

なんか毎回、まとめがすごく急になってしまってるんですよね。

よくない状態が起こった時に、自分の内面から他人や環境とかいろんなことを考えてしまって、もはやどれが一番の正解かっていうのが自分の中で整理がついてないことが多い。

最近、こういった類の悩みはただ単に自分の独りよがりから発生しているものかもって強く思うようになってきた。

結局のところ建築について勉強しているはずなのに、いつも最終的に見てるのは人生観とかそういうもので、自分は真剣に建築を勉強できているのかといつも不安になる。悪いことではないんだろうけど、あっちこっち行きすぎてるなあ…